インド舞踊
インド舞踊は5000年の歴史を誇る世 界最古の舞踊で、世界の舞踊の源流であ るといわれている。しかもインドの舞踊 は単なる踊りではなく、「舞踊を通じて神 に祈り、それによってあらゆる願望が満たされるとともに、救世の道を切り開き、人民の繁栄と自己の舞踊の完成のために 惜しみなく精進するものは三界で徳をおさめる」と古典にしるされているように 信仰と深く関わり、人と神との交感手段 として発達した。紀元前2〜5世紀には 創造神ブラフマーから啓示を受けた聖者 バーラタが世界最古の芸能の法典
「ナーテイヤ シャーストラ」を著したと伝えられ、その中には実に108種類の舞踊の 基本ポーズが定められ、
今日のインドの舞踊に伝わる知識と技法が体系化されて いる。
これは当時の舞踊が非常に高い水準に達していたことを示している。また、その影響はアジア諸国に伝わる民族芸能 の原形となって、タイ ビルマ、インド ネシア 特にバリ島に伝承されているバ リ ヒンドウーの神々への祭儀としての ガムラン音楽、レゴン ダンスなどの舞 踊に最も顕著に現われているほか、今日 の世界の舞踊にも及んでいる。 インドの舞踊は宗教的な要素を色濃く 反映しているが、同時にその起源の多くが神話的であり、伝説的である。
元来。 各舞踊手は全能の神々を讃美し、また 神々を喜ばせるのが主な役割であったが インドでは神々自身も最高の舞踊手で あった。そもそも舞踊は破壊神で大苦行 者のシヴァ神が興し、男性的で彫像のよう な動きの舞踊のターンダヴァ(宇宙の舞) を創り、シヴァ神の妻、パールヴァティーが 神秘的で優美な踊りのラースャを創った といわれる。今日、男性的な舞踊はターンダヴア、女性的な舞踊はラースャと分 類され、シヴァ神はナタラージャ(舞踊の 王または舞踊の神)として崇められている。
さらにインドの舞踊に共通した最も重 要な題材は、インド二大叙事詩といわれ る「ラーマーヤナ」や「マハーバーラ タ」、あるいは各地方に伝わる神話や伝説 で、インドの大地に根ざした神々への信 仰、愛、人生観が鮮やかに織り込まれ、精神と物質、理性と官能が巧みに共存し て恒久的な人間真理と本質を見事に表現 している。
インド舞踊には三つの大きな様式がある。
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第一はヌリッタ : (純粋な踊り)で身 振りだけの抽象的な踊りで、踊る喜びを 表わす以外、特定の表情や感情表現を行わない。
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第二はヌリテイヤ : 身体、顔 目、手などを使った感情表現を伴う踊りで、歌や物語の趣旨や意味を表現する。
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第三の様式はナーテイヤ : ヌリッタとヌリテイヤの様式に加えて舞踊手が物語を語ったり、演劇的要素が加わる踊りでテーマは男女間の物語、または宇宙の根 本原理を求める人間の魂に関するものが 多い。
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ヌリテイヤとナーテイヤを巧みに表現 するには、人間の感情を熟知していなけ ればならず ナヴァ ラサと総称される 愛、喜び、怒り、恐れ、哀れみ、勇気、 不快、驚き、平安という9つの要素をバー ヴァ (顔の表情や身体の動きによる感情 表現)や、
ムドラー(手の舞踊表現技法) によっていかに見事に表出していくかが 舞踊手の技のみせどころとなっている。
ムドラーは、「ナーテイヤ・シャースト ラ」の中で手足、身体、顔の三つに分けられているゼスチャーのひとつで、右手、左手、また両手の組み合せによって多く の意味を象徴している。さらに他のゼス チャーと結合して、登場人物の感情や言 葉、自然および自然現象までも表現し、物語の筋を進めて行くことができるので、歌や音楽と共にインド舞踊の重要な要素 となっている。
インドの舞踊は「ナーテイヤ シャーストラ」のこのムドラーの伝 統を受け継ぐと共に、各々の踊りに適した表現方法および法則を生みだし、それ が各舞踊の特徴ともなっている。
インド舞踊には、四つの大きな流れが ある。
1:南インドに起ったバラタナティア ム、クチプ リ、カタカリ、
ケーララ州のモヒ ニアッタム
2:北インドのカタック、
3:東北インドのマ ニプリの四つで、これに加えて、
4:東インドのオリイシイ、
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上の参考動画は、インド人間国宝、パドマビブーシャン Pt.ビルジュ マハラジ師匠の
カラアシュラム創設まもない時代の動画です。
十数年前のものです。カタックの最高峰の師匠のタブラで、踊らせていただきました。
最高に幸運なコンサートでした。
ボールを歌ったあと踊るというカタックのヌリッタスタイルです。
後半は、在日インド大使館にて、クンジュビハアリ主催で行った、
2001年1月26日グジャラート震災時のチャリティーコンサートの折の物です。
tabla = Maharaji & bol paran = Didi
kathak = kunjubihari & Prokashi
☆タブラは、インド人間国宝パドマビブーシャンPt.ビルジュマハラージ師匠。
☆ボールパラン は、インド人間国宝パドマシュリSmt.サースァティセン師匠。
☆カタックは、:クンジュビハアリ & グルバーイのプロカシ氏です。
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カタック
カタックはBc5世紀ごろ、北インドに生まれ、他のイ ンド舞踊と同じく宗教的な起源を持ち、 クリシュナ (ヒンドウー教最高神)信仰 を主題にした演目が多い。古代、北インドの平野地帯でカタカ(語り部) が村々の寺院をまわってヒン ドウーの神々や叙事詩の英雄たちの物語 を想像力豊かに語って歩いたが、まもな く音楽と踊りを加えて演じるようになり、 これがやがて高度な舞踊形式に整えられ、 カタックの踊りへと発展していった。さ らに15世紀になると、北インドでヴィ シュス神(護持) への信仰が復活し、そ の神を題材とした舞踊、音楽、詩、絵画 が数多く創作されるようになって、舞踊 の演劇的な解釈を深めていった。
ムガール王 朝(1526-1858年)のイスラム文化の影 響を受けて、舞踊芸術として華やかな発 展をとげた踊りで、複雑なフットワーク と高速の回転の妙技が最大の特色となっている。 また、 ヒンドウー教との有和を計り独特のインド イスラム文化が宮廷を中心に開花し たムガール王朝のアクバル大帝 (在位 1556〜1605年)を頂点として、ペルシヤや中央アジアから集められた多くの踊り 手や音楽家たちによる華やかな宮廷舞踊 が繰り広げられるようになると、カタックもイスラムの宮廷で盛んに踊られるよ うになった。そこでカタックは多分に官 能的な要素を加えることになったが、同 時に一層洗練され、優雅さを備えた舞踊 となった。
今から150年程前には芸術、 学問の中心として栄えた都、ラクノーで プラカーシュジーとその息子タークル・ プラサドがカタックを今日のような形式 に確立することに情熱を注ぎ、彼らの子 孫が代々その偉業を受け継いで大きな流 れを築きあげた。今回来日するビル ジュ マハラージュもその名門舞踊家の 直系としてカタック舞踊の保存、育成に あたっている。また、カタックはラージャ スターン州のジャイブルでも盛んになり、 ラクナゥとジャイブルはカタックの二大流派の発祥地とされ、今日なお盛んに踊られている。他にバラナシガラナ、ライガルガラナ、などがある。
カタックの基本ポーズはバラタナティ アムやカタカリのように膝を折って構え ることはなく、直立の姿勢をとる。女性 は両方の足首にそれぞれ120個近くの 真鏡製の鈴をつけ、男性は150個余りつ けることもある。こんなにたくさんの鈴 をつける踊りはインドでも他にない。随 所に見られる、足を踏み鳴らして踊る踊 りはダンサーの即興で、伴奏の太鼓タブ ラに合わせて、もしくはそのリズムと対 立的に複雑なヴァリエーションを次第に速 度を早めながら踊っていく。フットワー クを強弱変化させたり、リズムのある一 点でまたは韻律が変化する時点で一瞬 止めるとき、鈴の音がこの魔術的なフッ トワークの魅力を一層高める。“タタカール”= tatkarと呼ばれるフットワークとタブラと のかけ合いは全く死に物狂いと言ってい いほどのもので、両者がびったり寸分の 狂いもなく合うためには、難解な数学の 問題を解くような集中力を要する。
“チャッカル”と呼ばれる旋回もカタッ クの特徴的な技法の一つで、インドでこ れほど数多く旋回を行う舞踊もない。優 れた舞踊手はチャッカルを何十回でも目 の誌むような早さで続け、ラハラと言われる循環メロディーの1拍目(サム)がくると、突然びたりと 静止してポーズをとり、一糸の乱れも見 せない。バランスとポーズ、コントロールがこの精密な芸術を支えている。
カタックの衣装は、ムガール帝国の宮 廷の服装の影響を受けており、男女とも 細いズボンをはき、女性は硬い布地のひ だ付きのスカートをはいていたが、17世 紀初め頃には薄い布地のスカートになり、 女性の動きを優雅に見せ、ステップ、旋回もしやすくなっている。また、ムガール王朝の影響は変則的なカタックのパターンを生み出し、遊びをフルに楽しん だ宮廷の雰囲気は、例えば舞踊手が観客と会話しながら踊るという柔軟性を持っ た踊りも生んだ。
通常 インド古典舞踊では、情緒的な物語を歌に合わせて踊るのが普通ですが、カタックのメインである、ヌリッタ形式の舞踊では、主にリズムのコンビネーション、リズムの面白さ自体を踊って行く。そのため、情緒的な物語性はない。
フラメンコ、タップの源流とも言われるこの舞踊は、複雑な変拍子によるフットワーク、旋律の視覚的表現としての所作、多用される旋回を特徴としています。またインド音楽と言えば、tablaやsitarですが、この北インド古典音楽と古典的な形で、セッションできるインド舞踊は、このカタックが有名です。
ダンサーは、これから自分が踊るリズムを口で歌いその後、舞台中央で、今、歌ったリズムをタブラの伴奏で踊る。と言う事を繰り返しながら舞台を進めて行きます。
この時、歌われるリズムをボールと言います。
インド古典楽器タブラでは、タブラボール、カタックでは、ダンスボールと呼びます。
言葉の組み合わせで、タブラの奏法やダンスの振り付けを表します。
カタックの特徴の一つとして、カタックダンサーは、タブラ奏者並みのリズム能力を身につける必要があります。ほとんどの他の舞踊は、1曲ごとにレッスンを進めていきますが、このカタックでは、北インド古典音楽のリズムを習得しつつ、舞踊のレッスンも進めていきます。
実際、インドのクラスでは、グルジ(師匠)が、新しいダンスの振り付けを教える場合、
はじめに、ボールを口頭でリズムに合わせて、歌います。
弟子はこれを、正確に口頭で言えるようになるまで、繰り返して、何度も練習しなければなりません。グルジ(師匠)が、弟子のボールにokを出すまでは、リズムの修練に終始し、振り付けを教えてもらうことは、できません。ボールが、正確に言えるようになってはじめて、稽古場で踊ることが許されます。
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家元マハラジの言う通りカタックの純粋舞踊ヌリッタは、
『ストーリ・オブ・リズム・ムーヴメント』ですから一つ一つのリズムを正確に踊ることが非常に重要です。
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カタックのムーヴメントは、ムードラを使用しない。このことにおいて、カタックの所作は、芸能の法典「ナー テイヤ シャーストラ」によらない。
記号的、シンボリックな手話的な表現を行わない。アビナヤ=舞踊の演技的側面においても、手話的な記号である、ムードラを使わずより
パントマイム的な表現を行う。
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この動画は、クンジュビハリ自身が、音源製作、
カタック舞踊パフォーマンス、動画製作をしています。
この曲の前半では、ギター、ベース、シンセサイザー、ドラムループを使用しました。
そして後半では、シタールとタブラの音で踊っています。
インド舞踊カタックのコンポジションは、
ラクナゥ流派の伝統的
パルミルトゥクラ、パラン、です。
マハラジも踊っている伝統的コンポジションです。
音的には現代的な音造りですが、
構造はカタックの音楽そのもので、
旋律は、ラーガを使ったナグマでです。
タールは、ドルット ティーンタールです。
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カタックのハスタカ
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カタックでは、独特の手の平の形を『ハスタカ』と呼ぶ。
このムードラ『チンムードラ』(ギャーナムドラ)は、カタックで、唯一使用されるムードラと言える。
小指:タマス
薬指:ラジャス
中指:サットヴァ
人差し指:ジーヴァ(自我・魂)
親指:ブラフマン
人差し指と親指をくっつけ、他の指を伸ばしたままにするのは、ジーヴァと、ブラフマンの融合をすることへの
望みを、表すムードラ『チンムードラ』(ギャーナムドラ)。
インド舞踊カタックでは、すべての動きが、このギャーナムドラから、はじまり、ここに戻ってきます。
つまり、神と魂を融合させることを、目的とした舞踊と言えるでしょう。
ヒンドゥー教の語り部『カタカ』が、元ではじまったインド舞踊カタックは、ヒンドゥー教の
哲学を根拠に長い年月をかけて構築されたものですので、ヒンドゥー教の神々を避けて通ることはできません。
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チャッカールが、左回りのみの理由
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カタックのレッスンのはじめに、地球の女神様にプラナームをする事でもわかるように、
ブーミーデーヴィーに帰依します。
そして、北極の上空から眺めた場合を想定すると、地球の自転も公転も反時計まわりです。
左回りは、エネルギーを放出する。また右回りは、カルマの流れを表し、
左回りは、カルマの停止と解脱を表すと言われる。
また心臓は、左寄りですので、左足かかとを軸にすることで、
高速な回転より 心臓を守ります。
その日 サンスクリット経文で降臨していただいた、神に舞踊家の身体を使って頂いて踊ります。
左回りをする事で、神の光と祝福を身体より放射し、観客に届ける
ことができます。
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ラクナゥ流派のカタック『 Lucknow Kalka-Bindadin gharana』は、
その創始者と言われている『タクール プラサード ジ』が、夢でクリシュナ神から
『カタックを完成させるように』
と何度も「お告げ」を受け、カタックという舞踊を確立したと伝えらえております。
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インド舞踊の踊り手は、心身を「神=ブラフマン=アートマンの宿る寺院」と考えます。
そのため、踊り手は、身体をできるかぎり清めなければなりません。
また、身体のみならず、精神も清らかに保つ必要があります。
舞踊を継承する家系のかたがたは、伝統的な方法で、これを実践しています。
毎朝のプージャ、マントラの 読誦、ヨーガの実践、戒律の厳守です。
また、人間関係においては、愛と奉仕の行為の実践です。
これは、カタカの帰依する神が、ヴィシュヌ神とその化身であるクリシュナ神であり、
愛(慈悲)と奉仕がその教えであるからです。
カタカ=ヒンドゥー教の語り部。カタックの語源。
クリシュナ神への信仰の道=『バクティ』は、戒律や、教義によりません。
ブラフマン階級の人々以外に 大変難しい ヴェーダの教義や祭儀や
戒律を課すことは困難なことです。
そのため、クリシュナ神は、ヴェーダの教義や祭儀に無知な人でも、
愛と信仰を持つことができれば、誰で神に近づくことのできる道を示しました。
これが、『バクティ=信仰の道』と呼ばれるものです。
ラクナゥ流派のカタック『 Lucknow Kalka-Bindadin gharana』では、
カタック舞踊を通してこれを実践していくことを理想とします。
家元のマハラジ師匠も、
『クリシュナ神のマントラは、特に唱えない。カタックを通して毎日実践しているから。』
と言われます。
それが、朝の祈りとして、神殿まえでの舞踊修練です。
戒律の厳守は、身体と精神を神に降臨して頂くものとするための大きな助けとなります。
また、家元の方も、伝統的な菜食主義を実践しておられます。
たとえば、生臭物をたべながら、弁天様をお呼びするサンスクリット経文をとなえても、
無礼となるだけであり、神様に相手にしてもらえないでしょう。
むかしから、ブラフマンとアートマンは、同一のものであると、されています。
つまり、神の好む条件とは、本当の自分の望んでいること、と言えます。
『神にすべてをあけ渡す。』とは、奴隷になる、ではなく、『本来の姿の自分に融合する。または、帰結。』
1滴の水と言う限界から、大海であった本来の自分にもどる。と言うことです。
器の水に映った月を自分と勘違いしていたが、器が壊れると本来の自分の姿である天空の月に
気づくということです。
個人的 芸術は、いつまでたっても自己表現であり自己満足の領域から
抜け出ることはできません。
しかし、水の1滴も、大海に落ちれば、地球上ではもっとも偉大な命の源となるように、
神と融合に向かって努力する芸術は、いつの日か普遍的な輝きを放つように なるはずです。
shree krishna sharanam mamah!